十年前「はやぶさ」開発の現場を見ていた
小惑星探査機はやぶさ帰還のインターネット中継を見た。あのMUSES-Cが本当に打ち上げられ、様々な困難を乗り越え、六十億キロもの想像を絶する距離を航行した後に地球に戻ってきた。わずかな時間ではあるけれどまわりを照らすほど明るく輝いて燃え尽きる映像を本当に感慨深い思いで見ていた。
十年以上前、ぼくは横浜に住んでいて人工衛星の開発現場にいた。宇宙開発とは言っても設計業務はデスクワークであり、一見普通の会社とあまり変わらない光景だ。製造や試験は関係者以外立ち入らない別の施設でおこなうため、オフィスでは主にPCに向かって文書を作成している。
そこにいる技術者はみんな宇宙が好きということでは共通しているものの、担当部署によって少しずつ特徴があったように思う。熱設計、構造設計の担当者は特殊技能を持っている職人のようだ。データセンターで大量のデータ解析をする地上設備の開発者はIT技術者に近い。品質管理部門は本当に業務そのまんま、この上なく繊細な人達であるような印象を受けた。技術者は男性だけではなくもちろん女性もいるのだが、普通のOLさんとはどこか違っていてPCの壁紙はハッブル宇宙望遠鏡が撮影した画像だったり、皆既日食のある日は有給休暇をとって飛んでいってしまうようなタイプが多かった。そんなちょっと不思議なオーラを放つ開発者達ではあるけれども、共通しているのは本質的にはみんな生真面目であり、おおらかな性格の人でもどこか細やかな視線を持っているということだった。
人工衛星を開発するには十年近くかかる。ひとつの物を作るのにそれだけの期間取り組むというのは実感としてなかなか想像しづらいと思う。技術者であるからには新技術に対する好奇心もある。新世紀になりインターネット技術が革命的に進化していく中、自分達はそれとは別の世界にいるような気持ちにもなる。十年の間には経済状況も大きく変動する。日本の経済の状態が悪化すると宇宙開発の予算などは最初に見直されてしまう。そうして予算が削られ白紙になった計画も多い。また遠距離の出張が続くとストレスがたまってくる。宇宙関連の施設はたいてい不便な場所にあるため移動に時間もかかり、一度現地に入ったらしばらく帰れない。機器に優しい環境は決して人間に優しいとは限らない。基本的に考えることが得意な人達で肉体的に強靭というわけではない。どんなに好きな仕事だとしても体力が削られると気持ちが弱ってくる。
そのような開発を何年も続けて無事に打ち上げられたとしてもまだ安心はできない。自分も少し開発に関わったことがある地球観測衛星みどり(ADEOS)は、打ち上げ後数ヶ月で太陽電池パドルが故障し運用が断念された。それまでかけてきた自分達の十年分の成果がその瞬間終わった。このとき開発陣の落胆はもちろんとても大きなものではあったけれど、宇宙開発に携わる技術者としてある程度覚悟はしていた部分もあったように思う。
人工衛星開発では、衛星本体が壊れたとしても設計図があればまた作れる、ということを新入社員は最初に教わる。もちろん打ち上げた衛星とまったく同じものを作り直すことはまずないのだけれど、自分達の成果は設計図として確実に残っているという、宇宙開発技術者達の矜持だったのかも知れない。
当時同じフロアにいたMUSES-C開発チームを見ていて印象的だったことがひとつある。それはメンバーに明るい人が多いということだった。営業マン的な陽気さとは異なる技術者としての前向きな性格。高いストレスのかかる状況で悩みつつも、めげたり他人にあたったりせずニコニコしながらやるべきことをやる。そんなしなやかな強さを持った人達だった。会社の人事的な配慮があったとは思えないので偶然そういう性格の技術者が集まったのだとは思うけれど、はやぶさがミッションを遂行する上で数多くのトラブルを乗り越えてきたことに彼らの姿が重なってしかたがない。
今回、小惑星探査機はやぶさの快挙ということだけでなく、それを支えてきた彼らのような技術者達にも光があてられたことをとてもうれしく思う。